サラリーマン行政書士の読書日記

本ブログは、サラリーマン行政書士である私が、本業、副業、中小企業診断士に挑戦若しくは奮闘する様及び読書記録を綴るブログです。



『戦場の田中角栄』と『田中角栄100の言葉』に学ぶリーダーシップ。

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田中角栄生誕100周年 

戦場の田中角栄 新書版』読了しました。

戦場の田中角栄 新書版

2018年は田中角栄生誕100周年でした。書店の政治関連のコーナーだけでなく、ビジネス書のコーナーにも、戦後日本を引っ張っていった強いリーダーとして、田中角栄の本が並んでいましたね。

私もこの本以外にも、石原慎太郎の『天才』を読みました。 

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田中角栄の一人称で書かれた、とても面白い小説でした。 表紙のたち鋏でひげをカットする姿が印象的ですね。これは田中角栄の習慣だったようです。

『戦場の田中角栄』に書かれていますが、失言問題で責められて「ヒゲをそれ」とやじられたときも、留学中の娘から「ヤジヒゲソルナ」と電報があったそうです。私はテレビで田中角栄を見たこともないですが、あまりヒゲを生やしている印象はないんですけどね…。

政治とカネ、今の政治との対比

田中角栄の政治家としての命脈が尽きたのはロッキード事件でしょう。今の安倍政権も疑惑が渦巻いていたこともあり、対比して考えてしまいますね。田中角栄がどうで、安倍晋三はこうだなんて言うつもりはありませんが、政治には常に闇の部分が見え隠れするのかなと。

ロッキード事件については陰謀説などもあり、本書でもその立場をとっています。本書タイトルの『戦場の田中角栄』の「戦場」の一つには、ロッキード事件も含まれています。

真実だったのか陰謀だったのか、これもなかなか難しい部分だと思いますが、政治という場ではさらに話がややこしくなりますね。表面に現れている事実が全てとは思えない。国益のために何かが動いている、などと考えるのは邪推でしょうか。

政治家は清濁併せ呑むことも必要になってくるのかもしれませんが、権力をそういう方向に使ってしまうと、王道から覇道へと突き進んでしまうことにもなりかねません。

以前読んだ『上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)』の中にも、政治とカネの話が出てきていました。
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上杉鷹山の右腕として出てくる竹俣という男がいるのですが、最初は上杉鷹山の改革に対して情熱を抱いていたのに、権力にすり寄ってくる人たちに負け、賄賂を受け取ってしまいます。そうしたことが民をシラケさせ、改革の正当性を貶めてしまう。

清濁併せ呑むというのは、結局は「バレなければよい」をうまくやっているに過ぎないのかもしれませんね。

田中角栄の戦場

本書のオビには、「ノモンハン戦のときだ。~」などと書かれているので、田中角栄が本当の戦場に行った時のことを書いているのかと思ってしまいますが、そういうわけではありません。

田中角栄の波乱万丈な人生そのものを戦場にみたてて、戦い抜いてきた一生を描いています。幼少時代、戦時中、政治家下積み時代、そして総理大臣、退陣後と、それぞれのステージが常に戦場のようにあわただしく、常に勝負のまっただ中だったのが田中角栄の人生。

「政治家は出稼ぎ、辞めたら地元に帰る」と言っていたようですが、ほとんど現役のような人生でした。田中角栄は政界引退が90年、娘である田中真紀子が初当選した93年に亡くなっています。

ロッキード事件以降の第34~38回の総選挙を勝ち抜いており、疑惑の中にあっても人気の高さをうかがわせます。

言葉を知って理解を深める

さて、田中角栄についてもう一冊読んでいます、それは『田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得』という田中角栄の名言集です。

田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得

伝記小説などでも人柄は描かれますし、強いリーダーシップを発揮した政治家だったことは十分に見て取ることができます。

でも、そういったエピソードがあったんだなと理解したうえで、実際に場面場面で発したそのままの言葉を聞くと、また田中角栄その人のイメージにリアリティが付加されますね。

ああいったことを成し遂げた人が、こういったことを言ったのか、なるほど、と。言行が一致するというか、セットになって見えてくる部分と言うか。いくつか紹介します。

人にカネを渡すときは頭を下げて渡せ。くれてやると思ったらそれは死にガネだ。

最終的にカネの問題で追い詰められてしまった田中角栄ですが、その使い方は相当に豪胆だったようです。でも、ただばら撒くだけでなく、そのお金が自分と相手にとってどれだけの意味を持っているのかよく理解して、死にガネは使わなかったようです。

手柄はすべて連中に与えてやればいい。ドロは当方がかぶる。

できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこのワシが負う。以上!

ギブアンドギブなんて言いますが、田中角栄はまさにその実践者。常に周囲の人をどうしようかということを考えていた政治家です。責任は俺が負う、こういった趣旨の言葉は他にもたくさん出てきます。

田中角栄の政治家としての信条、矜持が見えてきますね。

 法律というのは実におもしろい生き物だ。一行、一区、一語が大変な意味を持っている。だが肝心なのは法律が生まれた背景のドラマだ。

周囲は大学卒、官僚ばかりの政治家の中で、田中角栄は尋常小学校、中央工学校という専門学校までしか出ていません。学歴を見ればまったくかないませんが、「実」の面で見れば、田中角栄ほど本質を突き詰めて考えていた政治家もいないのかもしれません。政治はショーではなく、国会で作られる法律も、それを使う人、望む人がいてこそ「おもしろい生き物」になるのでしょうね。

古き良きリーダーシップ

田中角栄に関する書籍をいくつか読んでみて、田中角栄の辣腕な政治家像が見えてきました。日本列島改造論を掲げて日本中で公共事業を興したその手腕は、力強い、古き良きリーダーシップを感じます。

今どきのリーダーシップ

「古き良き」としたのは、最近求められてきたリーダーシップとはタイプが異なるからです。サーバントリーダーシップ、羊飼い型リーダーシップなどといわれるように、最近は力強く引っ張っていくようなリーダーはあまり好まれないようです。もちろんその組織毎に、適したリーダーシップというのがあるはずですが。

でも、「ついてこい!」系のリーダーは、最近のなんでも「○○ハラスメント」としてしまう風潮の中では、なかなか強みを発揮できなさそうです。

また、個の時代にもなってきているので、教育も就職活動も会社組織も、画一的なものは少しずつなくなっていくでしょう。人口オーナス期では人海戦術は使えませんから、「個」というリソースを最大限に活かす戦術を考えなければなりません。

原点回帰のリーダーシップ

ただ、そのような状況の中で、古き良きリーダーシップはもう出番がないのかといえば、そうは思いません。むしろ、剛から柔へと振れたリーダーシップのありかたが、また剛へと回帰することもあると思います。

結局はバランスと言ってしまえばそれまでですが。ただし、再度剛のリーダーシップが着目されるときには、田中角栄のリーダーシップそのものではなくて、今求められている、又はこれから求められていく新たな価値感が付加されたリーダーシップになるのではと思います。

まとめ的なもの

政治界の次世代リーダーと言えば、小泉進次郎が人気がありますが、あの方はどちらかといえば柔なリーダーですね。剛というと、次世代感はありませんが、石破茂でしょうか。石破茂は田中角栄の最後の弟子でもありますし。野党は今は全くパッとしませんが、思わぬところから頭角を現す若手政治家がいるかもしれません。国でも地方でも政治家任せではいけませんが、国民、市民が活躍しやすい下地作り、インフラを作るのは政治家の仕事ですね。

平成は「失われた30年」などと言われ、政治も経済も昭和の延長戦、ロスタイムのようなものでした。新たなテクノロジーとして、インターネットが普及し、誰もがスマホを持つようになり、AIまで本格的に出てきました。このような外部要因によって大きく変わった面はあるものの、日本内部で見ると、どうでしょうか。

5月には新しい天皇が即位され、日本は新しい元号になります。今度こそ新しくて、強い日本に返り咲きたいですね。そのためのリーダーが、政治だけでなく各方面で必要とされています。

田中角栄生誕100周年は、改めてリーダーというものの本質を考える、よいきっかけになりました。考えるだけでなく、自分もそういったリーダーになれるよう、日々精進していかなければなりませんね。

戦場の田中角栄 新書版

戦場の田中角栄 新書版

 
田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得

田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得

 

 

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