『銀の匙』純文学の読書の作法を学び、味わう。
読書は沢山こなしますが、ビジネス書が中心で小説はたまに読むばかり。
その小説の中でも純文学などはほとんど手を出しません。
学生の頃、太宰治には多少はまりましたが、それ以来純文学は読んでおりません。
最近読むのはミステリーやSF小説などエンターテイメント性の高いものばかり。
特に敬遠しているわけでもないのですが、どういうわけか純文学にはあまり縁がありません。
でも、名著と呼ばれるようなタイトルは押さえておきたいという思いは常々ありました。
ターゲットは『銀の匙』
そんな折、よく足を運ぶ市内最大の書店で「100分de名著×岩波文庫の合同フェア」のコーナーができていたのは前回のエントリーの通り。
大量に仕入れた本の中に、長らく興味を持ちつつ先延ばしにしてきた純文学の名著、『銀の匙』があります。
早速、100分de名著のテキストからの本編を読んでみましたので、今回はそんな『銀の匙』を読んで感じたあれやこれやを書き綴ってみたいと思います。
純文学は味わい深い
純文学、しかも大正時代に書かれた小説ですから、読んでみて理解できなかったらつまらないと思い、今回は先に100分de名著のテキストを読んでおります。
普通、小説はあらすじやオチを先に知ってしまうと楽しめないということもありますが、『銀の匙』については先にテキストを読んで正解でした。
ここがミステリーなどエンターテイメント性の強い小説との違いでしょうか。
ストーリー性よりも、その表現の豊かさのようなところに惹かれますね。
普段はビジネス書ばかりですから、目でキーワードを検索するような読み方をすることも多々あります。
必要な情報を得るための読書、それがビジネス書の読み方です。
小説はとなると、情報を得るのではなくて、文章を楽しむことが読書の目的となります。
ミステリー等ならストーリーを、純文学は表現力を。
日本語って、こんなにも綺麗で豊かだったんだなという再発見がそこにはありました。
一文を抜き出してみます。
赤ちゃけた花崗岩の細末が鮫の皮みたいにかたまってるとこへひからびた小松がかつかつにへばりついて、木の実をくった鳥の糞があちらこちらに落ちている。
もう一文
そのほんの覘いてみるほどのすきまから山また山が赤く、うす赤く、紫に、ほの紫に雲につらなって、折り重なり畳み重りはてしもなくつづいてるのがみえる。
どちらも『銀の匙』後編十九にある一文ですが、読んで頭にその場面がイメージできますよね。
読み進めていくことで、頭の中のキャンパスに風景が次々と描かれていくようです。
そう感じることができたのも、100分de名著での斎藤孝先生の解説を読んでいたからこそ。
なかには聞きなれない言葉もたくさん出てきます。
その都度調べてみたり、『銀の匙』は丁寧にも終わりに注釈があるのでこれを読んでみたりして補完します。
文章、日本語そのものを楽しむのが純文学なのかと、これも新しい発見でした。
時代を感じ、違いを考える
明治大正の小説を読んでいると、何とも言えない違和感を感じますね。
ときどき顔を見せるその時代特有の物や考え方に対して、我々は現代の価値観というの色眼鏡を通して見てしまいます。
『銀の匙』でいえば、男女の価値観や、多様性のなさ、兄という存在。
特に兄の理不尽で頑なで、有無を言わせないその態度には憤りを感じます。
ただ、当時は家父長制まっただ中ですし、男女平等などという概念もない時代ですから。
現代ですら、家は長男が継ぐものだと考える人がいますが、『銀の匙』の時代は、本当にそれが当たり前だった時代です。
そんな時代背景や、兄の長男としての自負や葛藤なども考慮に入れる必要がありますね。
こうして兄の立場に立って考えてみると、一方的に兄を責めることはできないし、むしろ長男としての責任を果たそうとする姿が見えて、なんとも切ない気持ちになります。
後編十にある、私と兄との最後の描写なんて、勝手に深読みして悲しくなってみたり…。
時代が現代であれば、兄は「兄らしさ、男らしさ」といったプレッシャーに縛られることなく、兄弟も断絶することもなかったのでは、と。
最近よく言われる同調圧力というものは、協調性や和といった言葉の裏返しのように思います。
『銀の匙』では、日本人のこういった文化を「同調圧力」として捉えているようですね。
まとめ的なもの
過去に太宰治を読んでいたときは、そこまで文章の美しさとか、時代背景とか、そういったところまで追えていませんでした。
読書にもまだ不慣れだったということもありますが、「純文学とは」というジャンルの特性みたいなものを知らずに読んでいたせいかもしれません。
同じ小説といっても、純文学、SF、ミステリー、ラノベ、 それぞれに楽しみ方、味わい方は違うのですね。
100分de名著の斎藤先生の講義を読んでいなかったら、『銀の匙』も最後まで読み切れなかったかもしれません。
ストーリーとしてはあまりに日常的過ぎますし、明確な起承転結や、伏線回収のようなものがあるわけでもないので。
たんたんと、「私」こと中勘助の幼少時代が綴られている。
文章を味わうことを知らなかったなら、面白さの半分以上に気付くことなく本を閉じていたかもしれません。
好きに読めばいい、というのも正しいと思いますが、まずは読書の作法を知って、読書そのものに慣れ親しむのがよいです。
それから、好きな読み方を自分なりに工夫していけばよい。
読書の守破離、やっと純文学の「守」を、少しだけ身に付けられたような気がします。
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