『働くということ-実社会との出会い-』これから社会に出る全ての人に読んでもらいたい良書。
実社会に出る前に
とてもシンプルなタイトルで、そして心に突き刺さる深い内容でした。
併せて漫画版も読みました。
あと一週間もすれば、高校、大学を卒業した若者が社会へ出ることになります。
荒波に揉まれるでしょうし、思い描いていたものと違うかもしれません。
悲観しているなら、そんな悪いものではないよと伝えたいし、楽観しているなら、そんなに甘くないよと伝えたい。
どっち?と思われるかもしれませんが、どっちでもあるのです。
そして働くということは、そんなに簡単に答えが見つかるものでもありません。
1年目で思い知ること、3年目でわかり始めること、10年経っても新たに気付くことがあります。
私も働くということの意味を、未だに全て理解できているとは到底思えません。
でも、これから社会に出る若者たちにとっては、それこそまだ見ぬ未知のステージ。
期待と不安入り混じるこの時期に、本書を手にとって『働くということ』に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
労働の本質は自己実現
「労働の本質は自己実現」。
これはオビに書いてあるものですが、この力強いメッセージ、私は疑いなく信じます。
労働とは、働くということは、その仕事、業務を通じて自己実現を果たすこと。
自己実現というのはとても難しく、深みのある言葉ですね。
成長とも言われるし、ありのままの状態とも言われます。
具体的に、ミュージシャンになりたいとか小説家になりたいというようなものではないと思います。
ミュージシャンになりたいというのは表面的な欲求であり、その背景には自分のメッセージを世界中に届けたいというようなものがあるはずです。
そのメッセージはきっととても崇高なもので、それこそが自己実現の本質なのだと思います。
働くということも、ミュージシャンや小説家のような華々しさはなくても、本質的には通じるものがあるのです。
労働と自己実現を切り離してしまうと、その瞬間から労働はただのつまらなくて疲れるだけの作業と成り下がります。
働くことで、社会との繋がりや自分の存在意義を感じていくことができるのです。
決して、人は日々の糧のためにのみ働くのではありません。
社会は生産性を上げながら遣り甲斐を奪う
働くということそのものは、とても意義のあることです。
ですが、生産性を向上させるためには効率を上げなければなりません。
効率を上げるために、世の中の仕事は分業し、専門化していきました。
工場では細かく工程が分かれ、ラインが導入され、ベルトコンベアで流れていく製品に対して、自分に任せられた単純作業をこなすのみ。
こうして社会は生産性を上げ高度化するにつれて、自分が何を作っているのか、何に携わっているのか、わかりにくくなっていきます。
効率化、分業は別の面から見れば遣り甲斐搾取であって、さらには責任感の希薄化にもつながります。
「働くことはなぜ面白くないか」という書中の問いの答えが、人間ががんばって頭をひねって生み出した仕組みやテクノロジーによるものだというのは皮肉なことです。
それでも、仕事を続けていく中で多くの工程に携わり、時には一人で完結する仕事などを経験することで、人は働くということの意義に気付くことができます。
サラリーマンこそ、自由の表現者になりうる
著者は、このような不自由さの中にこそ、自由を見出せると言います。
つまり、本書で言うところの「目覚まし時計、ネクタイ、満員電車」という三悪で自由を制限されたサラリーマンこそ、自由を表現する主体となることができるのです。
なんと!サラリーマンとはかくも面白いものなのか!!
ここまで言うと誇張のように思われるかもしれませんが、私自身、自分なりの方法でサラリーマンとしての自由を表現し、今があります。
本書を読むとサラリーマン中堅プレイヤーである私も、働くということ、サラリーマンであるということに改めて希望や誇りすら見出す思いです。
まとめ的なもの
本書が書かれたのは1982年です。
今とは経済の段階も働き方も大きく変わっています。
そんな中で昔のサラリーマン哲学を引っ張り出しても仕方がないと思う方もいるかもしれません。
確かに、上辺だけのノウハウ本なら時代とともに廃れてしまうものです。
でも、原理原則、根底に置かれるべきマインドは時代が変わっても揺るがないものです。
『働くということ』は、シンプル故にいつまでも廃れない、働く者を動機づけしてくれて、勇気づけてくれる、そんな本です。