【書評】すべての教育は「洗脳」である。
『すべての教育は「洗脳」である』
副題は、「21世紀の脱・学校論」。
やはりホリエモン本のタイトルは過激です。
でも、いつも思うのですが、堀江氏から語られること、本に書かれていることって、すごくまっすぐだなと。
常識だとかしがらみだとかでがんじがらめになって、あるいは完全に染まってしまって、そのままを受け入れることはできない人が多いとは思いますが。
色眼鏡を外してみると、すごく本質的なことを突いていると感じます。
学校は国策「洗脳機関」である
私も、学校教育にはあまりなじめないほうでした。
なんで40分、50分も座って先生の話を聞かないといけないのか。
なんで毎日宿題があって、やらないと怒られるのか。
学校では、「これ」という「正しいこと」があって、はみ出ると怒られる。
社会に出てしまえば、正解はいくつもありますし、やり方次第。
ブレストやるぞ!間違いはない!とにかく案を出せ!
なんて言われますが、学校ではあれはだめ、これはだめできたわけで。
高校は義務教育ではありませんが、枠組みとしてはなんらかわりません。
社会に出るまでの12年間、没個性的で画一的な教育の場に押し込めておいて、それでいて社会では「尖った人材」なんてものを求めている。
それはとても難しいことですよね。
学びとは「没頭」である
ホリエモンは子供の頃、プログラミングに夢中だったそうです。
ただ好きで好きで、やっていたこと。
まだITブームなんて言葉もなかったし、おそらく堀江氏の子供の頃というと、パソコン通信の時代じゃないでしょうか。
インターネットだって、あったとしてもダイヤルアップ。
ハードもソフトも、今のように便利なインフラではなかったはず。
簡単にググるなんてことも出来なくて、自分で調べて学んで。
そうしてIT企業を起ち上げ、ITブームの火付け役になった。
本人曰く、勉強して頑張ってそうなったわけではなくて、単純に好きだった。
それこそが重要な原動力だと。
なにをやろう、と考えたときにも、12年間学校で教えられてきた社会しか知らないと、なりたいものも限られてしまいます。
子供の頃の憧れる職業に、弁護士やお医者さんあたりは常連として挙がっていたと思います。
勉強もできて、社会的な地位も高い。
もちろん弁護士も医者も、世の中になくてはならない職業ですが、そう思い込まされているということは、若者にとっては弊害かなと思います。
やりたいこと、なりたいものというもの、ぱっと頭に浮かんだとして、なんでそれをやりたいのか、なりたいのか、突き詰めていかなければなりません。
所感
本書の主旨は、学校教育という洗脳を解いて、「できない」というブレーキペダルをベタ踏みしていた自分に気付くことにあるようです。
主旨とは異なりますが、私は堀江氏の学びに対する姿勢に感銘を受けました。
そして働くということ。
「勉強」とか「仕事」とか、作られた枠組みというイメージが強く、反発が生まれます。
自分のやりたいことを突き詰めていって、それで生活ができる。
シンプルに、そういうことを教育の場で学べたら、きっと働くということに対して、もっと前のめりになれるんじゃないかなと思います。
そういえば、以前喫茶店で先生たちがミーティングしていて、声が聞こえてきたことがあります。
議論と言うか、とても熱心に話し込まれていましたが、何度も出てきた言葉が「アクティブラーニング」でした。
調べてみると、学校で受動的に教わるのではなく、能動的に学ぶことができるような教育方法とのこと。
私の頃は、一方的な詰め込み教育の印象が強かったですが、教育現場も変わってきているのでしょうね。
すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 新書
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